祖父・父ともにシーマンで、伯父たちも皆んなヨットに乗っていた。祖父と風呂に入ると何時も、海の歌・ボート
(漕艇)の 歌を歌っていた。初めて覚えた英語の歌は、祖父が歌う「英国国歌」だと思う。後年、ゴッドセイブ
アワキングと歌って笑われた事があった。祖父は明治生まれで、当時はクインでは無かった。そう言えば家は
皆んな風呂で歌を歌っていた。親戚に機帆船の船長だった人も多く、家に出入りする人、居候の人、とにかく
船乗りだらけだった。また、それぞれに「海の哲学」と言うか「船の哲学」を持っていて、価値観も千差万別。

子供のころから、ヨットで遊ぶわけでもないのに、船のアカ汲み(ビルジ汲み)に夜出かけて行く。なんて手間
で大変な遊びかと思い、嫌いだった。当時のヨットは、やたらビルジが溜まり、5日に一度は出かけて行かなく
てはならない。大人になっても、きっとヨットには乗らないなと思っていた。

高校生の頃、仲間とクルージングを始めて、楽しさを知った。当時、ヨットはカッコイイものでは無くて、冬に海
に行くと言うと 「バカじゃない」との反応。あの頃は、そう言われるとうれしい変な年頃だった。初めて宮崎まで
行った時、「航海術」に出会った。GPSなど無い時代で、まじめに勉強しないと、どこに居るか解らなくなる。
勉強すると、クルージングに出たくなり学業をおろそかにして、四国一周、対馬クルージングと出かけて行った。

そうなると、何時のまにか哲学好きの友達と「哲学」を語っている。しかも、哲学書は関根船長の「航海術」だ。
科学技術が日進月歩進んでも、5000年たっても根本的に人間があまり進歩できない訳である。父を超える
事が出来ないのも、同じ道を後から歩いてるからなんだなと痛感する。はまってしまっている。しかも、海や
船だけじゃなくて、「哲学的航海術」にである。

人生を考える時、仕事に対処する時、どうしてもベースが「航海術」になる。大自然の中で安全に航海をする
方法を400年に渡って先輩たちが培ってきた。「潮気の精神」と技術としてのシーマンシップを学ぶ事は本質
を見抜く力、そして与えられた状況を良い方へ変化させる力をつけてくれる。本当に楽しい勉強と思う。

「素材集」